ココロのつぶやき@はてなブログ

南の島からの帰国子女で作家。2005年『講談社X文庫新人賞』受賞。現在、『文学フリマ東京』を軸に作品を発表中。

【00395】人生の岐路、になったあの日。

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19××年3月18日、夜。
青天の霹靂、でした。
目の前が真っ暗になったし、そのまま気絶するかと思うくらい、衝撃を受けました。

19××年3月18日。
どうして日付を覚えているのかは謎ですが(苦笑)、日付も夜だったことも、それがリビングだったことも、両親の表情も、全て記憶しています(苦笑)。

4月からシンガポールで生活するから。

意味不明、でした。
シンガポール?それどこ??でした(苦笑)
何をどう聞き間違えたのだろうかと、真剣に考えました(痛)

ウチは典型的な転勤族で、一つの土地に3年いたことがありませんでした。


土地にも学校にも慣れ始めたところで『転校』だから、それが嫌で嫌で仕方ありませんでした。


でも、ある日いきなり家を買ったので(笑)、もう転校はしない、と親に言われて安心して信じていたのです。


だから、『嘘をつかれた!』『裏切られた!』『騙された!』と本気で思いました(苦笑)。
まだまだ本当におこちゃまだったので(苦笑)。

でも同時に、引越しは絶対にナシにならない、ともわかっていました。

だから、気持ちよく気持ちを切り替えたかったのに、心無い親の言葉に傷つき、反感を覚え、ぼくらの七日間戦争を一人でやってしまいました(笑)。

ものは言い様です。
言葉は諸刃の剣です。


相手が大人だろうと子供だろうと関係なく、誰かに対して何か言う時は、ほんの少しでいいから、相手のことを考える(思いやる)気遣いを忘れないでほしいです。
自戒も込めて、そう思います。

私はあの時、たった一言ほしかっただけです。


「また引っ越すことになっちゃってごめんね」


と、それだけ、言ってほしかったのです。
おこちゃまだったので(苦笑)

当時、私はとても英語に興味があり、まだまだおこちゃまだったにも拘わらず、公文の英語で結構なレベルだったこともあり、実力試しに外国へ行きたいと密かに思っていました。

読み書きは日本でできるけど、発音は日本じゃ習得できない、と生意気にも思っていたので、1番になるためには、本場で発音を学ばないとビックリマークと、思っていました。
負けず嫌いなので、なんでも1番でないと気がすまない 性格でした。子供の頃は特に(苦笑)

だから、『言霊って怖い……えーんとも思いました(苦笑)

住んでいた土地がすごく勉強熱心な地域で、子供は、『優等生』か『不良』の2つのグループにはっきりと分かれていました。


『中間』というのは存在せず、『勝つ』か『負ける』かしかないのです。


全てにおいて『弱肉強食』だったし、『サバイバル』でした。

負け組はとことん虐げられ、土地を追われることも珍しくはありませんでした。


「あんたみたいな馬鹿がいると全体のレベルが下がるから、出て行ってよ」


と、小学生の時点で言ってた子が普通にいるくらい、歪んだ土地でした。

今思えば、そんな異常な土地を離れられて幸せだったのですが、当時は、勝負の途中で逃げ出すみたいに思えて、すごく嫌でした。


勉強は言うまでもなく、お稽古ごとでもなんでも『勝負』の世界だったので(苦笑)

19××年3月18日から数年、私のテーマ・ソングは『ドナドナ』で(笑)、何故か英語はトラウマになって大嫌いになり(苦笑)、一切、勉強しませんでした。シンガポールにいたのに(苦笑)。

でも、文法(読み書き)を勉強しなくても、現地の人と接していれば、英語で意思の疎通はきちんとできるし、買い物も喧嘩も議論もできるので、生活には困りませんでした(^^;

困ったのは、帰国してからでしたが(苦笑)
今のご時世、英語くらいは流暢に扱いたいものです……。

2006年3月18日。
あの時のことを笑って思い出せるようになりました。
回り道もいっぱいしたけれど、全てが、血となり肉となっているように感じます。

 

 

 

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