19××年3月18日、夜。
青天の霹靂、でした。
目の前が真っ暗になったし、そのまま気絶するかと思うくらい、衝撃を受けました。
19××年3月18日。
どうして日付を覚えているのかは謎ですが(苦笑)、日付も夜だったことも、それがリビングだったことも、両親の表情も、全て記憶しています(苦笑)。
4月からシンガポールで生活するから。
意味不明、でした。
シンガポール?それどこ??でした(苦笑)
何をどう聞き間違えたのだろうかと、真剣に考えました(痛)
ウチは典型的な転勤族で、一つの土地に3年いたことがありませんでした。
土地にも学校にも慣れ始めたところで『転校』だから、それが嫌で嫌で仕方ありませんでした。
でも、ある日いきなり家を買ったので(笑)、もう転校はしない、と親に言われて安心して信じていたのです。
だから、『嘘をつかれた!』『裏切られた!』『騙された!』と本気で思いました(苦笑)。
まだまだ本当におこちゃまだったので(苦笑)。
でも同時に、引越しは絶対にナシにならない、ともわかっていました。
だから、気持ちよく気持ちを切り替えたかったのに、心無い親の言葉に傷つき、反感を覚え、『ぼくらの七日間戦争』を一人でやってしまいました(笑)。
ものは言い様です。
言葉は諸刃の剣です。
相手が大人だろうと子供だろうと関係なく、誰かに対して何か言う時は、ほんの少しでいいから、相手のことを考える(思いやる)気遣いを忘れないでほしいです。
自戒も込めて、そう思います。
私はあの時、たった一言ほしかっただけです。
「また引っ越すことになっちゃってごめんね」
と、それだけ、言ってほしかったのです。
おこちゃまだったので(苦笑)
当時、私はとても英語に興味があり、まだまだおこちゃまだったにも拘わらず、公文の英語で結構なレベルだったこともあり、実力試しに外国へ行きたいと密かに思っていました。
読み書きは日本でできるけど、発音は日本じゃ習得できない、と生意気にも思っていたので、1番になるためには、本場で発音を学ばないとと、思っていました。
↑負けず嫌いなので、なんでも1番でないと気がすまない 性格でした。子供の頃は特に(苦笑)
だから、『言霊って怖い……』とも思いました(苦笑)
住んでいた土地がすごく勉強熱心な地域で、子供は、『優等生』か『不良』の2つのグループにはっきりと分かれていました。
『中間』というのは存在せず、『勝つ』か『負ける』かしかないのです。
全てにおいて『弱肉強食』だったし、『サバイバル』でした。
負け組はとことん虐げられ、土地を追われることも珍しくはありませんでした。
「あんたみたいな馬鹿がいると全体のレベルが下がるから、出て行ってよ」
と、小学生の時点で言ってた子が普通にいるくらい、歪んだ土地でした。
今思えば、そんな異常な土地を離れられて幸せだったのですが、当時は、勝負の途中で逃げ出すみたいに思えて、すごく嫌でした。
勉強は言うまでもなく、お稽古ごとでもなんでも『勝負』の世界だったので(苦笑)
19××年3月18日から数年、私のテーマ・ソングは『ドナドナ』で(笑)、何故か英語はトラウマになって大嫌いになり(苦笑)、一切、勉強しませんでした。シンガポールにいたのに(苦笑)。
でも、文法(読み書き)を勉強しなくても、現地の人と接していれば、英語で意思の疎通はきちんとできるし、買い物も喧嘩も議論もできるので、生活には困りませんでした(^^;
困ったのは、帰国してからでしたが(苦笑)
今のご時世、英語くらいは流暢に扱いたいものです……。
2006年3月18日。
あの時のことを笑って思い出せるようになりました。
回り道もいっぱいしたけれど、全てが、血となり肉となっているように感じます。
(時々1位!ありがとうございます)
【フォロー大募集中】
(ココロのつぶやきダダ洩れw)
Tiwtter
(オシゴトに関するつぶやき専用)
インスタ
(料理、ぬいぐるみ、にゃんこ、お花……etc)
インスタ
(読了記録専用)