ココロのつぶやき@はてなブログ

南の島からの帰国子女で作家。2005年『講談社X文庫新人賞』受賞。現在、『文学フリマ東京』を軸に作品を発表中。

【00041】母方の祖父、倒れる(>_<)

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母方の祖父は、自由奔放な人です(笑)。

 

ざっくり祖父のことを記しておきます。

 

祖父は両親と妹の4人家族でしたが、祖父の父が『飲む/打つ/買う』を極めた人で、ついでに、家庭内暴力も酷く(DV)、結果、祖父の母は子ども2人置いて蒸発してしまいました。

 

残された子ども2人は、母が居た時以上に父に殴られ・蹴られたそうです。

 

このまま父に殺されるのが先か、家を出ることができるのが先か……という状況で、祖父は猛勉強し、第三者から見て円満に独立するという形で家を出ました。

妹も連れて。

 

祖父は、一級建築士になりました。

出兵もしましたが……その話は別の機会に(>_<)

 

戦時中、祖母宅は広いこともあり、一時的にけが人を収容していました。

 

既に祖母の父は他界しており、広い家には祖母と祖母の母、住み込みや通いのお手伝いさんたち……女性だけが住んでおりました。

 

たまたま、祖母宅に出入りするようになった祖父は、その裕福な家庭に目を付けます。

 

私から見て曾祖母(享年106)に近づき、口説き、寄宿舎に入っていてその場にはいなかった祖母との縁談をまとめてしまいます(苦笑)

 

聖心の女学校を卒業して寄宿舎も出て、帰宅した祖母はびっくらぽん!!

 

祖父が家族の一員として当たり前のように普通に暮らしているではありませんか!!

 

祖父はお調子者で大風呂敷を広げてはあとは知らん顔てへぺろ♪)な人だけれど、決して悪人ではないので、祖母も結婚を承諾。

 

一応、子どもは3人をもうけ(本当は4人生んでおり、一人は、祖父の妹へ養子に出したとか出してないとか……親戚談)、どこにでもある普通の家庭を築いているように見えましたが……

 

祖父は建築士として世界を駆け回り(当時は、治安の関係で妻子は連れて行けない)

 

合間を縫って、祖母の父の財産(絵画とか掛け軸とか骨董品など)をこっそり換金しては他人様(女性限定)に使い果たし(でも、全部バレてて都度、烈火のごとく怒られている)

 

ご近所さん(女性限定)におだてられて家族に内緒で市議会議員に立候補し(数百万円分、曾祖父の財産を換金して費用捻出)落選、懲りずに別の議員に立候補しようとして祖母に力づくで阻止され、

 

キリスト教徒の方々(女性限定)と親しくなったのをきっかけに高山右近に興味を持ち、彼を調べると言って世界を放浪。

 

もちろん、費用は、私から見て曾祖父の財産をこっそり換金して捻出(バレて怒られている)

 

この数年ただ観光旅行してたわけじゃないパンチ!と反撃に出た祖父は、高山右近に関する本を出版し、TV出演も果たし、『郷土史家』の肩書を持ち、各地で講演もし、茶飲み友だちも増やし(女性限定)、ドヤ顔。

 

やってることは無茶苦茶、しかも、お金絡んでるから、普通なら即刻離婚案件ですが……祖父はただのかまってちゃんであり、怒られることによって自分の存在価値を確認しているフシがあることを家族はうすうす感じていたので、怒るべきことは容赦なく怒ってあとは放置……でした(苦笑)。

 

曾祖父の残した財産は使い果たされたけれど、家計には何一つ響いていないし、給料は家に入れてるし、女好きで女遊びしてるといっても事前に家族に誰それとどこで会う(オレ、爺になってもモテるんだぜ?とドヤ顔)と告げてお茶して帰ってくるし……な祖父なので、逆に誰も本気で相手にはしていませんでした(苦笑)

 

曾祖母はおっとりとした母性たっぷりな菩薩の様だったのに対し、祖母はキリっとしたお嬢様だったので、甘えん坊の祖父には特に容赦なく『夫として』の教育……というか躾をしようとしていました(苦笑)。

 

ことごとく、のれんに腕押し、でしたけど(苦笑)

 

祖父は結婚する時、何も持たずに祖母宅へ転がり込んできました……が、後年、写真を数枚、持っていたことが判明しました。

 

幼い頃の、母と映っている写真。

 

だけど、全ての写真の母の首から上は切り取られていたそうです……(祖母談)

 

祖父は、自分を置いて逃げた母のことを恨んでいる、とも口にしたことがあったそうで、だから、そういう写真になってしまうのだろう……と思いつつ、だったら、写真ごと捨ててしまえばいいのに、それができずに生涯手元に置いていた祖父の気持ちを想像すると、それはそれでやりきれない、と祖母は言っていました。

 

そんな祖父だから、自分に優しくしてくれる女性を求めて女友達ばかり増やしていたのでしょう(苦笑)

 

若い娘には興味がなく、自分より年上か同年代でも面倒見の良いオバチャンにだけ興味を示し、皆、祖父のお金目当て(なんでもご馳走してくれるので)だとわかっていて、いっときの淡い夢を途切れさせないようにしていたように孫の私には見受けられました。

 

そんな祖父らしく、運命の転換期は、地元の行きつけの某ファミレスでした。

 

その日、祖父は、近所のオバチャンとお茶をしていました。

 

2枚目だか3枚目のホットケーキを食べようとした時に、倒れました。

 

祖父が倒れたのを目の前で見てしまったオバチャンは気が動転したのか、挙動不審なままそっこーで立ち去ったとのこと。

 

家族も知っているご近所さんなのですが、その後、音沙汰無し。

散々ご馳走になっていたのに一度も見舞に来なかった、と祖母は怒っていました(苦笑)

 

そこのファミレスのバイトくんたちは好々爺の祖父と仲良しさんだったので、その日、お茶の途中から祖父の様子がおかしいことに気付いてくれており、祖父が派手に倒れた時も、びっくりして動揺はしたものの、間髪入れずに救急車を呼んでくれ、救急車到着までの間に応急処置(手当?)らしきことまでやってくれていたおかげで、祖父は一命を取りとめたとのこと。

 

彼らが迅速に動いてくれてなければ、祖父はその場で命を落としていたというから……感謝です。本当に。

 

その後、祖父は、病院の看護士さんたちが優しくしてくれるのが嬉しくて退院したくないと言い出し、リハビリを拒否(苦笑)。

 

でも、ずっと病院に居られるわけはなく、特養の老人ホームへ移転。

 

たまたま、そこの職員さんたちも優しくて……祖父、感激の感動。

リハビリもやるようになり、甘えに甘えまくる日々。

 

家族は毎日お見舞いに行っていたのですが、初期のリハビリをやらなかったので強い麻痺が残っていても、それ以外は色つや良く、ボケもせず、元気で10年そこでお世話になりました。

 

祖父が倒れた直後、一命は取りとめたものの、『それだけ』だった状況だったので、祖母と私はのんきにアメリカ旅行なんてしている場合ではないと思い、キャンセルしようとしたのですが、伯父が、

 

「人間、死ぬときは死ぬし、オヤジが死んだらちゃんと盛大な葬式あげとくし、世間体も気にしないでいい。いくらでも上手に誤魔化しておくから。それに、オフクロも飛行機事故で死ぬかもしれないだろ?人の生き死になんて考えるだけ無駄だ。とりあえず、当初の予定通り、行っておいで」

 

……と、力強く言ってくれたので、祖母にとっては初のアメリカ旅行が実現したのでした。

 

母も旅行をキャンセルして、日本行きの飛行機を手配しようとしていたところでした。

 

たくさんいる孫の中で、私だけが祖父と仲良しで、バレてるんだけれど(笑)、ふたりでこっそり泊りで国内旅行をしたり、日帰り旅行もしたりして遊びたおしました(笑)

 

祖父のお友だち(女性限定)にもたくさん会いました(笑)

 

皆、祖父のお金目当てなのがダダ漏れで、女の卑しさ、浅ましさ、心の貧しさを目の当たりにしました。

 

祖父の生き方には、都度、考えさせられていた孫です。

 

 

 

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