【立ち読み】
九月一日午後三時過ぎ。
都心から各駅停車の在来線で二十分ほどの駅に降り立った鬼頭
光姫(きとう みつき)は、その田舎な風景と空気感に少々面食らっていた。
想像していた『東京都』とはかけ離れた郊外さに、思わず、手元の略地図に書かれた駅名と改札口にある駅名を何度も照らし合わせてしまったくらいだ。
――間違いない。
最寄り駅は、合っている。
ひとつしかない改札を出て、改めて閑散とした駅前を見渡してみた。
バスのロータリーはなく、猫の額ほどのタクシー乗り場と小さなベンチはある。タクシーは常駐していないらしく、ベンチには数人の男女が座ってタクシーを待っている。
駅周辺にありがちなファーストフード店やらちょっとした店の類も――ない。
(ある意味、最高の立地条件、なのかもね)
光姫(みつき)は事前にもらっていた略地図を見ながら、そんなことを思った。
略地図にある目的地の名称は、『世田谷ビレッジ』。
大学受験を控えた帰国子女を対象とした宿泊施設と塾が併設されている建物だ。
基本、世界各国にある現地校の卒業は六月となっている。現地の高校は単位制なので、高校卒業に必要な単位数から逆算して自分に必要な単位の教科を組み合わせて1年ずつ過ごす。
日本人学校中学部を卒業してから現地校の高校部へ進学した人と中学から現地校に
通っていた人とでは、高校卒業に必要な取得単位の関係で、日本の大学へ進学する際、現役扱いになるか一浪扱いになるか変わってくる。日本人学校がある国では、日本人学校中学部を卒業した時点で現地校の高校部で取得すべき単位のいくつかは取得済みとなるので、飛び級ではなく、ふつうに詰め詰めで時間割を組んで各学期の試験に合格していけば、2年半で高校を卒業できることが可能になる。
その場合、日本の大学の帰国枠受験は十月から十一月に行われるので、翌春から現役大学生。2年半卒業を狙わない場合は6月が卒業なので3年半で高校を卒業することになり、秋の大学受験に合格後、来春からは日本の高校生でいうところの一浪で大学生になるという計算だ。
世界規模で一般的なカリキュラムを使用している現地校は六月の卒業式後に八月末までの長い夏休みに入るので、無事に高校を卒業した日本人はそのまま帰国し、関東近郊の大学を受験したいのであれば東京にある帰国枠受験専用の塾に七月八月九月と通い、十月十一月に大学受験をするというのがお決まりのコースとなっている。
光姫(みつき)もこの六月にシンガポールの現地校の高校部を卒業しているから、遅くても七月一日から東京の大学を受験する皆と一緒にこの『世田谷ビレッジ』で世話になるのが自然な流れだったが――敢えて、時期をずらした。
本音を言えば、帰国枠受験をするならば『世田谷ビレッジ』の世話にならなければ合格できない――と言われているのは承知だが、そこの世話にはなりたくなかった。
しかし、光姫(みつき)にはどうしても現役で大学に合格して叶えたい夢があった。独学で現役合格できるほど甘くはないのが大学受験だと見聞きしていたのもあったので、光姫は仕方なく、『世田谷ビレッジ』の世話になることに決めたのだった。
理屈で割り切れるほど心の造りは単純ではないことを持て余しながら、光姫(みつき)は改札を出ても前に進めなかった。
夢を叶えたければ、後戻りはできない。
夢を叶えて自分で自分を救うか、それとも、そもそもあの出来事
を無かったことにして潔く違う人生を歩むか――この期に及んでも、光姫(みつき)は『逃げ』の一案を捨てきれずにいた。
今なら、誰にも知られず、全てから『逃げる』という選択もできる!
逃げて、新天地で新たな人生を歩むことだって――許されるはず。
――私は生きているのだから!
数えきれないくらい言い聞かせてきたこの言葉も、最近では心の中で空しく消えていく感覚が強くなり、それがとても嫌で言いようのない怖さが増してきている。
逃げるべきか進むべきか―― 自分のことなのに道を決めかね、俯いて立ちすくんでいたら、ふいに声をかけられた。
「ひょっとして、方向音痴?」
人懐こく、さわやかな声と言い方だった。
「――?」
気軽に気さくに声をかけられたけれど、その声に聞き覚えはなく、空耳かと思って顔を上げたら、光姫(みつき)の目の前にTシャツにGパンというラフな格好の大学生くらいの男がにこやかに佇んでいた。
知らない男、だった。
(ナンパ?こんなド田舎で?)
思わずまじまじと男を見て――光姫(みつき)は気づいた。
この男、目と鼻の先にあるタクシー乗り場のベンチに座っていたヤツだ。
光姫(みつき)は駅周辺を見渡していた時にこの男もチラッとこっちを見たような気がしたものの、気にも留めなかった。
(ツイてないなぁ~。面倒くさいなぁ~。ナンパに関わってる暇なんてないのにー)
あからさまに不機嫌丸出しなまなざしの光姫(みつき)を意に介することなく、男は続けた。
「遅くても今日の昼前には入寮って聞いてたんだけど……新宿乗り換えで迷子になった?」
「……」
打って変わり、光姫(みつき)は警戒心を強めた。
(――『世田谷ビレッジ』の寮生、か……)
知り合いではない者が、いつ到着するかもわからないというのにわざわざ駅まで迎えに来たくなるくらい、既に自分は寮生にとって好奇な存在ってわけか......と、光姫(みつき)は苦虫を噛みつぶしたような表情になった。
そう思う心当たりは十分にある。
同じシンガポール組で、光姫より先に帰国して『世田谷ビレッジ』に入寮した連中の誰かが、おもしろおかしく……かどうかは知らないけれど、自分の事を話したのだろう。
光姫(みつき)自身、隠すつもりは毛頭ないが、自分の知らないところで憶測交えてアレコレと勝手なことを言われるのは今も昔も不愉快極まりない。
人の口に戸は立てられない、とは言い得て妙だと、光姫は改めて悔しさに唇をかんだ。
「あ、ごめん。気に障った?」
どうやら声をかけてきた寮生は、初対面の相手を『方向音痴』呼ばわりしたことで気を悪くしたのだと思ったようだった。
「……」
光姫(みつき)は肯定も否定もせず、ただ睨みつけた。
寮生相手に不用意な言葉を発したくなかったのだ。
「ごめんごめん!――」
「聖琉(ひかる)くーんっ!」
甲高いアニメ声が、寮生の言葉を遮って割り込んできた。
第三者の登場に光姫(みつき)と『聖琉(ひかる)』と呼ばれた寮生が声のした方を見やると、アニメ声の持ち主とは思えぬ大柄で巨漢な女が、満面の笑みを浮かべながらこちらへ駆け寄ってきた。
声はアニメ声でかわいらしく、着ている服も小物もロリータでコーディネートはばっちりきまっているのだが……いかんせん、体型が……大柄なだけならまだしも、かなりの肥満で……それは残念な容姿だった。
これで普通体型ならとってもかわいいのに…….と思いながらアニメ声の全身を見ていた光姫(みつき)はふと、何かの違和感を覚えた。
アニメ声は、肩で息をしている。
全力で走ってきたかのような息の整え方をしているが、何故かそれがとても不自然に見えてしまったのだ。
どこからなのかは知らないが、肩で息をするくらいの距離を全力疾走してきたのであれば、頬は上気するだろうし、顔全体はうっすらと汗ばむくらいにはなっているのではないか?と思うのだが、彼女を見れば見るほど、そんな風には見えないのだ。
いたって、普通。近距離を歩いて移動してきた時の感じにしか見えない。思えない。
(彼女は……どこから……来たんだろう?)
光姫(みつき)はざっと周囲を見渡してみた。
見晴らしの良い駅前だ。
誰かが走って来たら、すぐに気づけると思う。
タクシー乗り場のベンチにも、彼女はいなかった。
改札付近にコンビニでもあれば、たまたま偶然、店内から同じ寮生の姿を見かけたから店を出て合流してみた……というのも有り得るが、この駅にコンビニはない。
あるのは、公衆便所だけ。
(お手洗いに.……居た?)
いや、トイレに居てもいいのだ。たまたま、トイレから出てきたら知り合いがいたので駆け寄って来た――は、十分あり得る。
それもまた『普通』のことだ。
ただ。
トイレからここまではさほど距離はない。
少し大きめの声をかけながら速足で来ればそれで済む。
なのに、彼女は、全力疾走してきたとしか思えぬ息の整え方をしているのだ。
そのギャップが不自然極まりなくて、光姫(みつき)には引っかかったのだ。
穿った見方をするのであれば、どれくらいの時間だったかは置いておき、彼女はトイレに潜んでいて、頃合いを見計らって出てきた。ソレがバレないために、あたかも遠くから全力疾走してきた風を装った。
――それならば辻褄が合い、この不自然さにも納得するのだが。
(まさか、ね.…….)
そんなことをする意味と目的がまったく思い浮かばない光姫(みつき)は、自分の思いつきのくだらなさに苦笑した。
(バカバカしい現実逃避……)
光姫は軽く自己嫌悪に陥った。
期間限定とはいえ、これから始まる意に染まぬ場所での生活に怖気づいているから、こんなどうでもいいコトに意識が向くのだろう。
もっとちゃんと現実を見据え、目的達成のために1分1秒を有効活用しなければ!と改めて気合を入れ直し、迎えに来てくれた寮生――聖琉(ひかる)、と呼ばれていた――を見てだじろいだ。
(え?なに?どうしたの?)
聖琉(ひかる)は、アニメ声に対してあからさますぎる嫌悪と拒絶を発していた。
今は近寄るのをやめておこう、と、誰もが思うであろう空気を全開で出しているというのに、息を整え終えたアニメ声は上機嫌で彼の腕を取った。
しかし、次の瞬間には、乱暴に振り払われる。
――それでも、アニメ声は驚きもしなければ傷つきもしていない
様子で……ただただ、うっとりとした様子で聖琉(ひかる)だけを見ていた。
(なに……この子……)
悪寒が走った。
アニメ声は光姫(みつき)の存在には気づいていないとしか思えぬ態度で、聖琉(ひかる)に話しかける。
「聖琉(ひかる)くん、気づいたら姿が見えなくなっちゃってたから心配したよ?」
「……」
聖琉(ひかる)はアニメ声から視線を外したまま答えない。
「ま、あんな空気の中に居たくないのは同じだからわかるけどねー。遊びに出かけるなら誘ってくれたらよかったのにー」
「……」
「この時間から出かけるなら夕飯は外?どこ行く?新宿?」
「……」
再び、アニメ声は聖琉(ひかる)の腕を取ろうとしたが、聖琉に邪険にあしらわれた。
その軌道で初めてアニメ声はそこに佇む光姫(みつき)を視界に捉えた。
「……」
アニメ声は無表情で光姫(みつき)を上から下まで一瞥した後、おもむろに言った。
「ふーん……。聞いていた話から想像してたのとは、違うなー」
「……」
光姫(みつき)はアニメ声を見据えた。
アニメ声は揶揄するような挑発するような......微妙なニュアンスで続けた。
「――『死神姫』」
「――っ」
「それとも、『デス・プリンセス』、略して『デス・プリ』の方が通りがいいのかな?」
「心暖(こはる)っ!」
予想していたとはいえ、改めて『現実』を突き付けられた光姫(みつき)が思わず構えてしまったのと同時に、聖琉が怒気をはらんだ声でアニメ声――心暖(こはる)、という名前らしい――を制した。
「ま、心暖(こはる)はたいして興味ないからいーんだけど」
心暖(こはる)は再び聖琉(ひかる)に目を向けた。
「ねぇねぇ、聖琉(ひかる)くん。どこ行くの?新宿?新宿なら心暖(こはる)、行きたいお店あるんだー」
甘えるような声と表情で心暖(こはる)は聖琉(ひかる)を見上げたが、聖琉(ひかる)は視線を逸らしたまま冷たく素っ気なく答える。
「どこにも行かねーよ。迎えに来ただけだから」
「迎えに?」
心暖(こはる)の声のトーンは険をはらんだ低いものとなり、その表情は般若を連想させた。
(この二人......一体なんなの?どんな関係?)
困惑している光姫(みつき)に聖琉(ひかる)は目を向け、やわらかな表情で説明した。
「その略地図、わかりづらくて不評なんだよ。方向音痴でなくてもそれ見ながらだと迷うから、新入りがやってくる日は、友達の誰かが迎えに行くのが通例みたいになってる」
「聖琉(ひかる)くんは、『死神姫(デスプリ)』の友達じゃないじゃん!なんで聖琉くんが迎えに来てんの?」
これ以上にないくらい不機嫌な心暖(こはる)の言葉を隠れ蓑に、光姫(みつき)は思わず溜息をこぼしていた。
――友達。
友達の誰かが迎えに行くのが通例みたいになっている――か。
そこそこの人数である『知り合い』が先に『世田谷ビレッジ』に入寮しているという のに、誰一人として光姫を迎えに来ようとは思わなかったらしい。
アイツでさえも――。
それが、現実。
体よくすべてを押し付けられた感に苛まれる。
悔しいやら哀しいやらなんともいえない気持ちになってしまった時、スーツケースが 動いた。
何事かと意識を現実に戻したら、聖琉(ひかる) が光姫(みつき)のスーツケースを手に取って歩き出していた。
「あ……」
「行こう」
「あ、うん.……」
促されるまま、光姫(みつき)も歩き出した。
「えーっ?なんで~?聖琉(ひかる)くん、新宿、行くんじゃないのぉ?なんで迎えに来てんのよぉ~!ねぇねぇ!待って~」
心暖(こはる)は慌てて聖琉(ひかる)を追いかけ、まとわりついている。
聖琉(ひかる)は無視で対応している。
光姫(みつき)は何も考えず、心を無にして、今日からしばらく世話になる『世田谷ビレッジ』へと向かった。
・2020年11月22日 初版発行
小説/文庫サイズ/210ページ/1,000円(イベント価格)/1,300円(通販価格)
(時々1位!ありがとうございます)
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